人生おもろいと全力で言えるか

20代だった僕はいろいろ引っ掛かりながら、でもきちんとした目標をもって日々社会と戦っていた。
かばんや小物を作る会社で製造を担当していた僕は、技術を上げて高度なものを作りたい、しまいには独立したいという夢をもっていた。
現実は厳しく日本の革産業、かばん業は衰退の一途をたどり、職人の後継者も皆無だった。←少なくとも僕の会社は。
そんな状況下では経営も厳しくお給料も少ない。その道25年の職人さんのお給料が額面22万円(勿論ボーナスも無)と聞いたときは、なんも言えねぇ・・・だった。

担当部署は会社のお荷物。そんな風潮まであり、ただそれでも部署は一丸となって努力した。そこだけは今でもいい経験になったと思っている。
日々葛藤、努力、ストレスの中で、僕には幸いにも彼女がいた。
背の小さな活発な女の子だった。
僕の癒し、、たまに活発すぎて癒しじゃない、、でもとにかくとても大切な彼女だった。

会社を辞めたのは6年目の冬。ストレスやいじめで辞めたわけではない。
少しづつ技術が上がってきた僕は次のステップへいきたいと思ったからだ。
課長に話をした時に背中を押してもらえたことが決め手になった。
部署のみんなは本当に応援してくれた。やってやるとおもっていた。

移った会社はこじんまりとした商店街のなかにあった。
規模も小さく若い人がおおかった。(比較的に)
扱っている革はイタリアから仕入れたやつやで~と社長が言っていた。
お洒落な財布、かばん、なんかええやんと思った。が、事件が起こる。
新人の教育係は社長のお母さん(推定70歳)とそのお友達風の半職人おばさん(推定65歳)
そしてちゃんとした職人のおじいさん(推定65歳)だった。
キャリアの浅い人たちがワンフロアーに集められてそこに教育係の方々と仕事をしていた。
なるほど。僕は最初から「カマ」した。
正直に言うとここで一番になるんだ、どころか踏み台じゃくらいに考えていた僕は猛烈に仕事をした。
香川真司が最初が大事って言っていたのを思い出していた。
その姿、所作、やる気満々感が鼻に触ったのであろう、おばさんたちのいじめが始まった。
だがひるまない。前の会社でさんざんそんな目には合っている。急性胃腸炎になり救急搬送されかけた所モドシながらも会社に行った僕からしたらババアのいやがらせなんてへでもねぇ。効くかボケ。
でもそれが悪かった。同じフロアーで働いていた、まじで見習いからやってるまだ一年たっていない方がいた。40代男性。この人ももちろんいじめられていたのだが、よりひどくなってしまった。
お世辞にも器量が良いとは言えない、また、咎められるとおどおどしてしまう(割と僕もそのタイプだが鍛えられて治った)方で格好の餌食になっていた。
話してみると普通に気の優しい良いひとだった。要領がわるいから・・・って言ってた。
そして事件当日、いつものように40代男性が嫌がらせを受けている。ここがダメだ、もっときれいにやれとか。しょーもな、てめーも大したことねーだろとか思っていたら、40代男性が言い返した!

「うるせー!!死んでやるー!!!」

はい????
僕たちのフロアーは二階で、ベランダの扉を開け、40代男性はもう飛び出していた。
みんなポカーンとみていた。
いやアカンがな!!!
とっさにベランダに飛び出て、飛び降りようとしている40代男性の腰あたりを辛うじてキャッチできた。体半分宙に浮いているような感じだ。
うわー!とか言うてるおっさんを取り合えず引きずりおろし、事なきを得た。体中びっくりするくらい力が入っていた。
夕方18時の商店街の中。こんなおったん?と思うくらい人が集まっていた。警察もきた。
社長とお母さん、40代男性が警察と話をし、僕らは普通に仕事。
右手小指がちょっと外を向いていることに気づいたが仕事をした。
ぽつりといつも全く無駄話をしないおじいさん職人が、これ二回目なんだよね・・・と。

次の日の朝、僕は社長に電話で、辞めまーすと言った。